ようこそビッチの故郷へ!
はじめましての方もそうでない方もこんにちは。奔女会(ぽんじょかい)主催のハムと申します。
私が、ああこの先どうやって生き延びようと行く先に悩んでいたときに光となったのが「メンヘラビッチバー」でした。メンヘラビッチバーとは、メンヘラビッチを自認する女性による、固有の経験を活かして楽しく働き収益を見出すためのバーのことで、「あらゆる苦労を持ち寄って労いあおう」という一貫したコンセプトの大変心地よい空間でした。メンヘラやビッチという言葉は、誰かを否定または揶揄する文脈で使用されることが多いですが、当事者たちがその言葉を改めて名乗ること、その中身を肯定的に再構築する試みによって、新たな可能性や希望が提供される空間がそこにはありました。どこへ行っても心地悪さを拭えなかった私の数少ない安息の地となったのです。
2018年秋に偶然バーテンを担当させてもらう機会があり、そのような場を作りだすことの面白さを痛感しました。あらためてビッチを自認する女性たちの生命力に励まされたのです。そこで自分にも何かできないかと考え当事者グループ「奔女会」を立ち上げようと行動し今に至ります。
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本来自分を超えて他者と出会えることは希望のはずでした。私自身、閉塞感のある田舎で暮らしていた頃からインターネットに助けられたことが多々ありました。しかしここ最近、インターネットという荒波の中で、航海が難しいと感じることがあります。日々、「本物の」フェミニストは/ポリアモリーは/性暴力被害者は/女は誰?と審判的な眼差しが増えていく。同じ名前を名乗りたい人同士が、似た経験をした人同士が雁字搦めになって引き裂かれる光景を目にします。
“魂の航海”と題される『psico-nautica』という本があります。精神科病院を廃止した後に、特異性を持つ他者を排除するのではなく、共に生きることを選んだイタリア地域精神保健に対する文化人類学的研究です。異端者、狂人と呼ばれ社会的疎外を経験した人達が、演劇活動/身体芸術を通して、他者と自分、そして生きる地域を変えていく。目の前に現れた人の存在をただ受け入れ、「生きることの希望/危機に寄り添う」という、元来の治療とは異なる試みがこまやかに考察されています。「歓待」の思想ーすなわち「わたし」ではない存在を「わたし」の中に受け入れるということ。それはつまり歓待の身振りにほかならないことー「わたし」自身が歓待の場となりうるということが示唆されています。
「メンヘラ」という言葉を思い浮かべるとき、私はこの本を思い出します。人は誰でも「生きることの危機」に陥る可能性があるからです。その危機を脱するために必要なのは、同情でも医学的診断でもなく、薬物療法や専門家主体の試みでもなく、その人自身が表現者/生存者として存在できる環境、これまでの苦労を分かち合える安全な場所、そこで織りなされる人と人とのつながりであると感じます。気が狂うような経験をしたことを、哀れまれたり矯正させられるのではなく、誰かと共有できたと信じられる時間を持てるなら、それはあまりに愉快で愛おしい瞬間だろうと思います。生き方も属性もバラバラの私たちがこの夜だけは「奔放に生き延びた」という一点で連帯できる、そんな場を目指したいのです。
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そこで歓待の場としての「奔女会」を立ち上げました。目指すは、ビッチの第二の実家、そして故郷!笑
実験的な段階ですが、どうぞあたたかく見守ってくださいませ。ほんとうは性別問わずたくさんのビッチに参加してほしいと思います。しかし私に包括的な場を作れる度量と技術がないため現段階ではほぼ女性限定の会であることをご了承ください。
■主催者自己紹介
ハム(91年生まれ)
□私の人生を豊かにしているもの
- 添い寝:座右の銘「添い寝のあるところに性暴力なし」ブログ:人生、添い寝にあり! (hatenadiary.jp)
- 恋愛と性的独占関係の放棄:契約結婚当事者(知人男性をスカウトして公正証書作りました)
- ミレーナ(避妊):性と生殖に関する健康と権利の実現によって人生が楽になりました
- 漫画収集:こちらに所蔵リストあり。遊びに来た時に好きなだけ読んでください
- ゲーム音楽、バレエ音楽、オペラ音楽:踊りに行ったり舞台鑑賞にも行くことが癒しです
□奔女に対する愛
奔女会を開催する中で、一番励まされているのは自分自身です。私は奔放な人や生き方が大好きです。愛するビッチが日々の疲れを癒せるように高級毛布を購入。育児中ビッチが気兼ねなく参加できるように自宅にキッズスペースも作りたい。ビッチの存在に感謝を込めて毎月「生き延びたよおめでとうケーキ」を奮発(破産しないように注意)。ビッチ祝福祭をやりたいほどに愛が増しています…。
私がメンヘラやビッチたちの何に惹かれるかというと、生きていく上で避けられない業のようなもの(他者と深く交わろうとする際の加害性と不可逆性)をリアリティをもって理解している人たちだからかもしれません。そして奔放さとは、自由を求めるエネルギーそのものであり、窮屈な構造に抗おうとする意志だと考えます。
しかし実際に出会えばビッチも十人十色。ライフスタイルや考え方は全く違います。揺らぎない意志を持って自由を謳歌したいという欲求(時に生き延びるために自傷他害してしまうことを含め)と、惰性のままに時には流れに身を任せて揺らいで生きたいという欲求、その両方に心地良さを感じることがあります。すべてのビッチが共鳴する同志でなくていいし、常に強くなくたっていいし、賢くなくたっていい。それぞれ特異な他者のままでいいはずです。ただ、権利主体であることを踏みにじられたくないし、諦めずに、いつだってそれを渇望し続けたい。その一点を自覚し合うその時だけは連帯が生まれるのかも知れません。社会の物差しで裁かれない場で、ただただ生き延びたという経験を分け合って安心できる場を持てるとき。誰かを傷つけてしまった事実とその上で生きている自分を引き受けられるとき。そのときようやく「被害者・加害者としての私たち」ではなく「自覚者」同士の連帯がそこに生まれるのではないでしょうか。
悩みながらも、ビッチへの愛を育みながらゆるゆる運営していきますのでぜひお気軽に遊びにきてください。
試行錯誤しながら、みんながバラバラのまま心地よく居られる奔女会を作り上げていきましょう!
主催 ハム(※2021年3月一部修正・加筆)
奔放なあなたにお会いできる日を楽しみにしています!